目指せ一発合格!社労士への道!!

社労士に挑戦する30歳男性の受験日記!!

自分史を語る!

こんばんは🌃

今夜は私が精神保健福祉士を志した理由について、家族や人生振り返りながら語ります。

全体を「高校卒業まで」、「冬の時代」、「芽吹き」の三部に分けます。

多少長くなるかもですが、最後までお付き合いいただけると幸いです😌

 

<高校卒業まで>

まず家族について。

だいぶ真面目で堅い家庭で育ちました。

一人っ子です、、、(温室育ち?)

父は医師、母は教師。

父方の祖父は教師、母方の祖父は警察官。

「世の為、人の為に尽くす」

というのが今も昔も変わらぬ私の信条です。

 

中学校の頃までは漠然と、医師になりたいと夢を描いていました。無事に県で1番の高校へ進学しましたが、二年生に上がるときの文理選択で文系に進みました。今考えると、人生における一つの分岐点でした。周りの同級生がみな口を揃えて「なんで文系にいくの?」と驚いてました。

 

なぜか?

シンプルに答えると父への反抗期です。

一人っ子なので、家の中に同世代のライバルがいません。無意識に父が越えるべきライバルになっていました。

子どもながらに次のように考えました。

「医師になったとしても、外科医の父を経験で超えることは時間的に無理で、いつまで経っても超えられないのでは?ならばいっそ、父とは違う道に進み、父にはできないことを自分がやってやろう!!」

なんとも生意気な若造でした。

 

高校時代に抱いた夢は

「たくさんの人を幸せにするために、政治家になりたい」

でした!!

そして文系で1番の成績だったこともあり、深く考えることなく、東大文科一類を受験し、見事に撃沈して、浪人することになりました。

 

<冬の時代>

ここから苦しい冬の時代が始まります。

浪人時代に両親が病気になったことがきっかけでした。病気を告知された私は受験のプレッシャーと相まって精神的に潰れてしまいます。当時の記憶はおぼろげですが、勉強教材をぐちゃぐちゃにしてベッドの下に投げまくったことだけは覚えています。

 

大受験は諦め、なんとか大学に進学します。しかし入学2ヶ月目から引き籠もりがちになり、結局4年半在籍するも単位が足りず、23歳のとき退学することになりました。軌道修正できませんでした😭

 

そして失意のうちに実家に戻り、約一年半アルバイトもせず、完全に引きこもりました。いわゆるニートでした。もちろん好きでやってるわけではないですよ。でもどうしようもないんです、、、

この間に大好きだった祖父母が3人旅立って逝きました泣(働く姿を一度も見せれなくて本当に後悔しかありません)

 

<芽吹き>

引きこもって一年が経ち、このままだと人生が終わってしまうという危機感にようやく逃げずに向き合えるようになった私は再出発を模索し始めます。

 

たまたまネットで見かけた地域おこし協力隊に興味を持ち、そこに1週間人生初の一人旅をして町役場にアポ無しで訪問しました。そして車の免許をとって応募しますが、書類選考で落とされます。落胆しましたが、スキル(人のために役に立つ技能や技術、知識)のない私が落とされるのは当然だと気付きました。またそれと同時に私はたかだか受験勉強という一つの手段に秀でていたに過ぎなかったと自己を冷静に分析することができました。そこで何か手に職をつけようという考えに至りました。

 

高校時代まではたくさんの人を幸せにするために政治家を夢みていました。しかし受験失敗、精神的不調、退学、引きこもりを経験して、夢を全く描けない自分になっていました。

病気になって闘病を続ける両親。そしてアルツハイマー認知症や末期がんを患って亡くなっていった祖父母。精神的に病んで引きこもっている自分。

 

身の回りや自分自身が苦しんでもがいてきました。そんな時にカウンセラー、友人、家族が支えてくれました。

 

私も近くにいる悩み苦しむ人に寄り添いたい

 

それが私の目指す夢になりました。

 

25歳で私は福祉や心理を学べる大学に入り直し、29歳で精神保健福祉士の資格を無事に取得しました。コロナと共に精神科病院に就職して、一年と半年が過ぎようとしています。

 

大変長くなりました。この短いような長いような30年間で培ってきた人生観や信念が根底にあります。私は2週間後に現職場を退職し、11/1から新天地で新たな仕事を始めます!

 

こんな私のブログですが、末長く読んでいただけると嬉しいです😆

1800字超えたっぽい笑笑

お風呂に入ります。ではまたー